2011年12月10日土曜日

何故、勉強するのか

好きなことを仕事にするということ。

これが人生を有意義なものにする条件だと思っています。
僕の場合まだ学生講師なので、途中の段階ですが、今後も揺らぐことの無い信念です。

学校で行われる教育は、好きなことを見つけるためのものです。
学校の試験のための勉強も、大学入試のための勉強も、好きなことを見つけるためのヒントになります。

高校までに行われる教育は最低限に設定してあるように感じます。
その科目の面白さが理解できる最低のラインです。
人によって感じ方は違いますから、やっぱりつまらないと思う人もいるでしょうし、
ある科目を好きになって、没頭することもあるでしょう。

そうして好きなものができた瞬間から、それまで嫌で仕方が無かった勉強が楽しいものに変わります。
つまらなかった勉強に、知りたいことを自分の頭で理解し、新しいことを考えていく楽しさが加わります。

好きなものができたら、夢ができます。
夢ができると、実現するための力が必要になります。
夢を叶えるために必要なのは、勉強することです。

まとめると、勉強の意義は三つです。
1つ目は、好きなことを見つけるため。
2つ目は、夢(やりたいこと)を見つけるため。
3つ目は、やりたいことを実現するため。

僕の場合、英語を好きになりました。
やりたいことも見つかりました。
それを実現するために必死で努力しています。

学校の科目の中に一つも好きなものが見つからない場合もあるかもしれません。
学校の試験には赤点があります。大学入試なら不合格になります。

これらの合格点は、「最低限ここまでは学んでいてほしい」ということを示したボーダーラインです。
もし、自分の点数がボーダーラインを超えていないようであれば、それは単に努力不足です。
大学入試では一概には言えませんが、学校の試験は努力をすれば、合格できるように設定されています。

赤点を超えられない人は、今は勉強が嫌で仕方が無くても、一度我慢して努力すれば、その科目の好きなところが見つかるかもしれません。
好きなことが見つかれば、一歩踏み出せるように思います。
それは人生における宝物です。

受験生の場合は、やる気が落ちてしまうこともあると思います。
志望校を決めていても、模試の結果や、周りの影響で、志望校を下げたくなることがあるかもしれません。
ただ、一度志望校を決めたのであれば、そこには信念があったはずです。
やりたいことがあったはずです。
安易な理由で気持ちを折らずに、志望校を決めたときのことを思い出してみてください。

まだ志望校がはっきりしない受験生は、とにかく勉強してみるといいです。
ある一定のラインを超えたときに、好きなことが見つかるかもしれません。

志望校が決められず、どうしてもやる気が出ない場合は、急いで決めなくてもいいように思います。

これは経験から言えることですが、僕が英語を好きになったのは、浪人しているときです。
仕事にしようと決めたのは、大学生になってからです。
高校生のころはひたすらに化学が好きで、研究者になりたいと思っていたので、僕が入った学部は理学部化学科です。
化学科に入ってから英語を仕事にすると決めてしまったので、当然ながら苦労しています。
英語を全力で学びたいのに、化学も勉強しなくてはいけないのは辛いです。
言うなれば、好きな人がいて結婚したいのに、元恋人との関係がこじれて結婚できていないような状態です。

僕のように、好きで化学科に入ったのに、もっと好きなものができるということも起こり得ます。
好きでもないのに適当な学部に入っても、後悔する可能性はもっと高いですよね。

受験は一発勝負という認識が強いですが、別に浪人したっていいんです。
(浪人するよりも、大学に入り直す方が、お金も時間もかかります。)
浪人すれば、予備校には授業が格段にうまい講師がたくさんいます。
新しい価値観に触れることで、好きなことが見つかるかもしれません。

2011年11月20日日曜日

昨日は初学会

昨日、熊本ルーテル学院大学で行われた第13回映画英語教育学会にて、
研究発表をさせて頂きました。

学部生は僕だけで、かなり緊張しましたが、
様々な大学や高校の先生方を前に自分の考えを発表できる機会を頂けたので、
本当にありがたかったです。

学会というか、大勢を前にしたプレゼンも初めてだったのですが、
こういうのも楽しいですね。
質疑応答の時間にきちんと質問していただけたのも嬉しかったです。
質問が出なかったら負けだと思っていたので、本当に良かったです。
(質問が出ない=「君の話になんか興味ないから早いとこ終わっちゃって」って意味だと思っています。)

僕は普段から学校嫌い全開で、発表も一般的な英語教育の批判から入りました。
学校の先生方を前に批判しちゃっていいのかと、発表前はほんの少し不安でしたが、
発表が終わった後にコンセプトも褒めていただけたので、
信念が、より確固たる物になったような気がします。
学校嫌いは僕のアイデンティティーです。
学校が嫌いだからこそ、
教育をより良いものにしなきゃいけないと思っているわけです。


他の先生方の発表も興味深いものでした。
中でも熊本大学の小林美代子教授の講演がとてもインスピレーションに富んだもので、
感化される部分が多かったです。

何のために外国語を学ぶのか。
そもそも英語を話すことができるようになる必要はあるのか。

僕は英語を勉強するからといって、話せるようになる必要は無いと思います。
僕が英語を学び、教えるのは、生きていくために必要な思考力を鍛えるためです。
言語である以上、話せるようにならなくてはいけないと思われがちですが、
英語を話さなくちゃいけない日本人ってごく一部ですよね。
別に英語を話さなくても生きていけます。
ただ、頭は使わないと生きていけません。



まあ、とにかく無事終わったし、楽しかったので良かったです。
映画オタクコンテストで2位になって、景品の辞書をもらったりもしました。
映画のワンシーンが流れ、その映画のタイトルを当てるクイズだったのですが、
映画英語教育学会ならではのイベントで、これでだいぶ緊張がほぐれたように思います。

来年8月に大阪で全国大会があるそうなので、 そちらも視野に入れて頑張ります。

では!


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当日撮影していただいた写真を頂いたので追記しておきます。(11/22)



こうして写真をみると反省点がさらにたくさん出てくるので、
撮影していただけるととてもありがたいですね。
自分が発表中の映像も撮っておけばよかったなあと。
反省用にボイスレコーダーで音声は録音してるつもりだったのですが、
なぜか録れていませんでした。残念。。



機材について
プレゼンはiPadのKeynoteを使って行いました。
iPhoneにKeynote Remoteというアプリを入れて遠隔操作しました。
なぜかBluetoothで使えなかったのですが、学内にWiFiがとんでいたので助かりました。
流した映像はhandbreakというソフトを使ってDVDから取り込みました。
普通、著作権的にNGなのですが、こういった学会の発表や公共の教育が目的であればOKらしいです。
塾や予備校、USTREAMでも映画の映像が使えるようになればもっと幅が広がるように思います。









2011年11月18日金曜日

明日は初学会

いよいよ明日が初学会です。

映画英語教育学会の九州支部大会で研究発表をさせていただきます。

スター・ウォーズをネタにして、言いたいこと言ってきます。
 
緊張するけど、ワクワクしてます。

意気込みとか書いてもあれなんで、明日の学会が終わってからここで感想とか雰囲気とか報告させてもらいますね。
 


ところで、STAR WARS といえば最近放送され始めた日清カップヌードルのCM。

ヨーダがフォースの力で巨大なヤカンを回してるあのCMです。





エピソード5のルークに修行をつけているときのシーンの台詞をアレンジしてますね。

"Always in motion is the future.

Believe in your own power you must.

May the force be with Japan."


未来は絶えず ゆれうごく
だからこそ 己の力を信じるのだ
日本のみなさん フォースと共にあらんことを


アツいCMですね。

好きです。こういうの。




CMの話は置いといて、英語の話です。

お気づきの方もいるかもしれませんが、ヨーダの話し方って独特ですよね。

ほとんどの台詞を倒置を使って話しています。

倒置とは、本来の英語の語順を変えて、言いたいことを強調するときに使われます。



英語は語順で意味が決まると言ってもいいくらい、語順が大事な言語です。

(学校で文型って習いましたよね。文型も語順で意味が決まることを示しているのですが、学校ではそこまで教えてくれません。) 


その語順をあえて崩すことで、言葉に気持ちと説得力をのせています。

日本語でも気持ちがこもってくると、言いたいことを先に言っちゃったり、前置きをつけたりしますよね。


1文目の "Always in motion is the future. も本来は

The future is always in motion. となります。
(細かいことを言うとSVM→MVSの倒置です。)


2文目の "Believe in your own power you must." は本来は

You must believe in your own power. という語順です。
(SVO→OSVの倒置です。)


映画の中では、この話し方がヨーダのキャラクターを特徴付けています。

ヨーダの話に長老的な説得力があるのも倒置を豊富に用いた表現のおかげなんですね。

このあたりの話も研究発表してみたいけど、もう誰かしてそうだなあ。


では、明日も頑張ってきます。

2011年11月12日土曜日

講師のあり方

生徒に「勉強しろ」っていう割に、
自分は全然勉強してないって先生があまりにも多いように感じます。

そんなんじゃ生徒は勉強しません。

講師なら、勉強量で生徒に負けちゃだめです。絶対に。

「勉強は学生の間だけすればいい」
こんな風に考えてる人ってけっこう多いんじゃないでしょうか。

大人になればなるほど、人って勉強しなくなっちゃいますよね。
僕の周りでもちゃんと勉強してる大人ってすごく限られてるように思います。

学校で授業を受けていて、「この先生すごい勉強してるなー」
って感じたこと、ありますか?

残念ながら、めったにいないんじゃないかと思います。

僕が小さい頃からずっと抱いてる大人のイメージは、
「仕事が終わったら飲みに行って遊んでる」
そんなイメージです。

僕はまだ学生ですが、そこそこ大人になって周りを見渡すと、
やっぱりそんな大人が多いんですよね。


親が子どもに「勉強しろ」っていうときも同じです。
こういうときってたいてい子どもは反抗しますよね。

反抗する子どもに対して親は決まってこう言うんです。
「自分が学生のころは勉強してた」

子どもからすれば、
「今はしてないの?」「大人になったら勉強しなくていいの?」
って感じです。

そんな親の言うことなんか聞いてたまるかって感じるのは当然ですよね。


日常生活で、誰かに「頑張れ」って言うときも同じです。
明らかに頑張ってない人に「頑張れ」って言われても、
全然頑張れないですよね。

努力をしてない人間が、誰かに努力させることは不可能です。

頑張ってない人間には、誰かに「頑張れ」っていう資格なんて無いんです。


生徒に「勉強しろ」って言う前に、
自分がちゃんと勉強できてるか、考えてみてください。

「仕事があるから時間が無い」「授業があるから時間が無い」
そんなのは甘えです。

生徒だって、勉強以外にもしなくちゃいけないことが山ほどあるんです。


大人なら、
今まで生きてきた経験から、
時間が無くても効率よく勉強できる方法を知っているでしょう。

勉強してる大人はかっこいいですよ。

2011年11月5日土曜日

V for Vendetta

11月5日になるとこの映画を思い出します。

"Remember, remember the fifth of November
Gunpowder, treason and plot
I see no reason why gunpowder treason
Should ever be forgot"

1605年の11月5日にイギリスで起きた火薬陰謀事件に言及した映画です。
映画では、この事件の首謀者であるガイ・フォークスのマスクを主人公の"V"がかぶっています。(このマスク、特に使い道はないですが、買っちゃおうかと思ってます。)


原作はアメコミの「V・フォー・ヴェンデッタ」。
製作、脚本は「マトリックス」シリーズのウォシャウスキー兄弟。

主人公、Vの中の人は「マトリックス」のエージェント・スミスを演じたヒューゴ・ウィーヴィングです。
映画の中では本人の顔は一切出てきませんが、この映画で一気にヒューゴ・ウィーヴィングのファンになりました。

独裁政権と化した近未来のイギリスを舞台に、アナーキズム満載のヒーロー"V"が国民の自由を取り戻す為に戦います。

とても知的でスタイリッシュな映画です。

好きなシーンが多い映画ですが、ネタバレを極力避けるために、登場シーンの自己紹介スピーチだけを紹介したいと思います。

"Voila! In view, a humble vaudevillian veteran,
cast vicariously as both victim and villain by the vicissitudes of Fate.
This visage, no mere veneer of vanity, is a vestige of the vox populi,
now vacant, vanished.
However, this valorous visitation of a by-gone vexation, now stands vivified,
and has vowed to vanquish these venal and virulent vermin vanguarding vice and vouchsafing the violent, vicious and voracious violation of volition.
The only verdict is vengeance; a vendetta, held as a votive, not in vain,
for the value and veracity of such shall one day vindicate the vigilant and the virtuous.
 
Verily, this vichyssoise of verbiage veers most verbose so let me simply add
that it is my very good honor to meet you and you may call me V" 

"V"から始まる単語を大量かつ巧みに使ったスピーチです。
韻を踏みまくっています。
日本語字幕で見てしまうと台無しになってしまいますね。
言っている内容もかっこいいです。

ちなみに日本語字幕ではこんな感じです。

「では!ご覧の姿は道化師のもの。時に弱き物を、また、時に悪しき物を演じることも。
仮面はただの虚飾にあらず。もはや素顔をさらして歩ける世界ではないゆえだ。
しかし、この厄介者が再び姿を現したのは、世の悪を正すため、この腐った世界にうごめくウジ虫を掃除する、そのために。
そう、これは "血の復讐(ヴェンデッタ)" だ。復讐の誓いは今も生きている。悪を断ち切り、自由をもたらすために。

少々長い自己紹介になったようだ。要するに、簡単に"V"と呼んでいただければ結構だ。」


要旨は伝わりますが、日本語字幕には限界がありますよね。(Vから始まる単語なんてこんなに知らないので僕も調べないと意味は分からなかったですが。 )

動画は埋め込みができなかったのでこちらからご覧ください。

「世の悪を排除し、自由を」
 この映画の理念を僕なりに解釈して、英語教育に置き換えると、
「荒んだ今の教育を破壊・再構築して、よりよい世の中を」
って感じになります。
ちょっと排他的な感じがしますが、ときにこういう考えも必要だと思っています。

2011年10月26日水曜日

教え過ぎ その2

昨日のブログに引き続き、
講師が教え過ぎることによる弊害について考えます。

塾で教えていると、授業を延長して行っている講師をよく見かけます。
一見、熱心に教えているように見えますが、
それが生徒にとって本当にいいのかどうか。

与えられた時間の範囲で授業をするのがプロです。
熱心さと自己満足を履き違えてるのではとも思います。

本来授業が終わる時間を過ぎると、生徒の集中力は一気に落ちます。
講師の集中力も同様でしょう。(自覚は無いかもしれませんが。)
そんな状態で授業を延長しても、意味があるとは思えません。

中には、講師の熱心さに動かされ、勉強にやる気を出す生徒もいるでしょう。
やる気が上がれば、それが1番です。

ただ、延長して授業を行うと、
生徒が勉強した気になってしまいます。
講師も授業した気になってしまいます。
これは最悪です。

延長することの1番の弊害は、
生徒が勉強したつもりになり、
講師が授業をしたつもりになってしまうことです。
昨日のブログで書いた通り、
教え過ぎると、生徒の実力は上がりません。
また、生徒が勉強したつもりになってしまうと、
最も大切な復習が疎かになってしまいます。

僕の塾では一コマの授業は80分です。
最後のコマの授業が終わって、生徒を完全に帰宅させる時間まで40分あります。
この時間、完全に授業を延長すれば、
120分にもなります。

120分も同じ科目の授業を続けても、自己満足に終わってしまうだけで、
効果は限りなく薄いものになります。
仮に生徒にやる気があっても、頭がついていきません。
普通の人間に120分も集中力を持続させることはできません。

僕も教える仕事を始めたころは、よく授業を延長していました。
熱心になればなるほど、多くを伝えたくなります。
多くを伝えようとすればするほど、
伝えたい内容は薄れていきます。

ポイントを絞らないといけないことに気がついたのは、
ほんの一年くらい前です。

そこから一気にスタイルを変えました。
まだ、うまくできない部分もありますが、
確実に実感できています。


まず、教え過ぎることをやめましょう。
伝える内容を制限し、
時間内に授業を終わらせるプロ意識を持ちましょう。

2011年10月25日火曜日

教え過ぎ

講師が教えすぎると、生徒の成績は上がりません。

思考力もつきません。

学校で行われているような授業は基本的に、
教科書に書いてあることを読み上げているだけであるように感じます。
少なくとも僕が中学や高校で受けてきた授業はそうでした。

10個ある内容を1から10まで全て読み上げる。
その作業に意味があるとは到底思えません。
書いてあることなら読めば分かりますから。

結局そんな授業なんか聞いていませんでしたし、
定期テスト対策は自分で授業中に行っていた記憶があります。

講師の役割は、授業の中で生徒に気づかせることです。
理解しなければいけない10個ある内容のヒントだけを与えることです。
生徒目線でみれば、授業中に教わった内容と、気づいた内容とでは、定着度は雲泥の差です。
自分の頭で考え、気づくことはとても気持ちがいいことで、
脳みそにしみ込んで行く感じがします。
だから記憶にも残り、必要なときに使えます。

僕が高校生の頃にお世話になった数学の先生は僕が質問に行くと、
「1から10まで質問するんですか?」
と、質問しすぎる僕を諭してくれていました。

浪人していた頃からお世話になっている関正生先生も先日ブログで、
執筆されているスタンスについて、内容を限定することの重要性を語られていました。

以下引用です。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

まず僕の執筆のスタンスは「“今までにない英語の新しさ”を伝える」です。
従来の英語教師・本の多くは「網羅型」です。それはそれでもう星の数ほどの本、もちろん良書もあるので
あえて出版する必要はないと僕は思います。


でも僕は、「教師の力量次第で“網羅しなくてもいい”状態」を作り出せると信じています。





従来型:1・2・3・4・5・6・7・8・9・10… とひとつずつ教える(網羅する)
僕の考え:1 ・ 3 ・ 7 ・ 10だけ教える





僕は一部のポイントをつけば、その間にある(2や4などの)知識はマスターできると考えます。
これがその教師の力量です。極論を言えば、1と10だけ教えて、その間の2~9までマスターさせる教師は達人ということです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
引用元のブログはこちら


僕も普段塾で教えていて、「今のは説明しすぎた」と反省することは多々あります。
そういうときはたいてい生徒は内容を忘れてしまっています。
本来20分かかる説明を5分でして、余った時間で自分で考えさせた方が圧倒的に生徒の記憶に残っているというのが、授業していてよく感じることです。


気づかせるということは、教えることよりもはるかに難しいでしょう。
ただ、自分で気づいたように感じさせることは、できるのではないかと思います。
一生懸命説明してしまいがちな先生は、たまにはざっくり説明してみてもいいのではないでしょうか。


2011年9月9日金曜日

映画と英語

今年の11月に映画英語教育学会の九州支部大会にて発表させていただくことになりました。

理学部の学部生の僕がそんなところで発表できるなんて、とても光栄です。


USTREAM番組のPHOTOGLISHがきっかけなので、

まずは、番組を始めるきっかけになった方や、

学会の先生に僕を紹介してくれた友人に感謝です。


先ほど先生を訪ねて1時間ほどお話ししてきたのですが、

学会に参加させていただけるだけでなく、

出版のサポートまでしていただけるそうなので、

これは大きなチャンスです。

やっぱり自分の考えをより多くの人に知ってもらおうと考えたら、

本を書くことが最大の近道ですもんね。

勉強することにおいても本に勝る物はないと思っています。


初めは基本的に共著という形をとるそうなんですが、

自分の名前が大学の先生たちの名前の横に並ぶことを想像するだけで、

自然と顔がにやけてしまいます。

企画書さえ持って行けば、バシバシみて頂けるので、

とりあえず来週までに一本、持って行きます。

なんか、こう、バクマンの主人公のような気持ちです。

アイデアを振り絞って、良いものを世の中に出していけたらいいな、と妄想しています。


がんばるぜ。


2011年7月28日木曜日

Black Math

今日は僕の好きなバンドのThe White Stripesの歌詞の一部を引用します。

"Listen master can I ask you a question
Is it the fingers, or the brain
that you're teaching this lesson?
Maybe I'll put my love on ice
And teach myself, maybe that'll be nice"

"先生、質問してもいいですか?
先生は脳に教えてるんですか、
それとも指に教えてるんですか?
たぶん僕は情熱を失って自分で学ぶだろう
たぶんその方がいい"

Black Mathという曲なんですが、文法とか表現の話はおいといて、
「先生は脳に教えてるんですか、それとも指に教えてるんですか?」
ってなかなかの皮肉ですよね。

指に教えるというのは、作業を強いるような授業のことです。
以前僕が働いている塾の生徒が日本史の宿題をしているのが目に入ったんですが、
その子は穴埋め問題の答えをひたすら教科書から探して、何時間もかけて解答欄を埋めていました。
こういうタイプの宿題って珍しくないですよね。
試しにその子がやってたページから口頭で問題を出してみたんですが、答えられませんでした。
日本史は覚えることが多いので、ある程度の作業は仕方が無いことは分かっていますが、
僕はこの手の作業に何の意味も感じません。
勉強しているように見えて全く頭を使っていないですよね。

きっとこの宿題を出した先生は授業中も、教科書に書いてある内容をただ読み聞かせてるだけなんじゃないかと思います。
教科書の内容をなんとなくまとめて、板書して、それを生徒に書き取らせるわけです。
指に教えてるって表現がぴったりですよね。

僕が学校で受けてきた授業も指に教えるような授業ばかりでした。
なんの面白みもなく、想像力を掻き立てることもない授業です。
生徒が学ばなきゃならないのは、指の使い方ではなく、頭の使い方です。

生徒に頭の使い方を教えられるのは、頭を使ってる大人だけです。
教師という職につきながら学ぶことをやめてしまった大人は論外ですが、
学び続けているように見える教師の中にも、頭を使うことをやめてしまっている人が多いように感じます。
知識が増えれば増えるほど、論理的に考えることを放棄してしまっているわけです。
教師が教える際に、知識の量や質にはあまり価値がないように思います。
必要な知識は教科書に書いてありますし、ちょっと細かいこともすぐ調べられますしね。

結局世間に必要なのは指に教える先生じゃなく、脳に教えることができる先生、
つまり、頭の使い方、論理的思考の過程を教えることができる先生なわけです。

なんてことをThe White Stripesの曲を聞きながら考えるのでした。


The White Stripes / Black Math

2011年6月10日金曜日

若さ

まずはヘンリー・フォードの名言から

Anyone who stops learning is old, whether at twenty or eighty.

Anyone who keeps learning stays young.

The greatest thing in life is to keep your mind young.

Henry Ford


「学ぶことをやめた人は、たとえその人が20歳であろうと、80歳であろうと、年老いている。

学び続けている人は若さを保っているのだ。

人生で最も大切なのは心の若さを保つことだ。」




最近は、若いのに頑張ってるなあって人、たくさんいますよね。

高校生で起業とか、僕が高校生のころそんな人は周りにいませんでした。

ただ漠然と大学に入るという目標だけあって、塾に通い、勉強し、遊び、って感じでしたね。

若さは武器になり、注目を集めることもできますが、

そういう人ほど年を取ってきたときにかかってくるプレッシャーって

とてつもなく大きいんだろうな、と想像します。

「若くして〜」という言葉はとても魅力的ですが、

年を取るごとに増してくるプレッシャーに押しつぶされないように頑張ってほしいですね。

彼らの動きはいい刺激になります。


ふと周りを見渡すと、学ぶことをやめてしまった人、

まだ学ぶことすら初めていない人、

ひたすら学び続けている人、

いろんな人がいます。

勉強と学ぶことは似てるようで違いますよね。


僕もまだまだ若いので、頑張っていきますよ。


2011年5月25日水曜日

PHOTOGLISH VOL.5



今回はGlueCastというオンライン動画音声チャットサービスを利用してゲストに
左から青木さん(@ggaoki)、もりゆいさん(@Guitar_room)、3番目が僕で、内木馬さん(@u_tico) の3名をお迎えして配信しました。

テーマは発音。give meがギミに聞こえる理由などについてお話しました。

深夜なのでとてもゆるく配信していますが是非ご覧ください。


配信中話題にあがった2曲です。

The Beatles/A Hard Day's Night



ABBA/Gimme! Gimme! Gimme!

2011年5月11日水曜日

get

ある方から質問をいただいたので答えますよ!

They got their mother (    ) some sandwiches.
1. pack     2. packed     3. to be packed    4. to pack

という問題。


質問してくれたMくん曰く
「解説読むと何となくは分かるんだけど、自分が発話する時にこの形の文章を思いつくとは思えなくて。伊藤和夫は説明のスタイルが、これはダメだからこっちになる、ってのが多くて、何でそうなるのか分かんないよ!ってのが多くて困ってる。」

とのことなので違うスタイルで説明します。

まずgetの意味を考えましょう。

とりあえずgetは「得る、手に入れる」で覚えているのではないかと思います。




He's got the sun. 「彼は太陽を手に入れた」
これは大丈夫ですね。
(面白い写真があったので使いたかっただけ)

日本語で「ゲットした」なんて言っちゃうことありますもんね。
I got the book.「おれその本ゲットしたよ」

では次の文はどうでしょう。

I got the book on the desk.

息子「あの本どこ?」
母 「机の上に置いといたわよ」

I got the book on the desk.「その本を机の上に置いた」
って意味になるんですね。

この文は the book on the desk
つまり「本が机の上にある」という状況を「手に入れた」という形になってます。

There is a book on the desk.「机の上に本がある」
っていうのもこの状況を説明してるんですね。

じゃあ次、こんなのはどうでしょう。
















I got him to eat the sun.

これも同じ考え方で「彼が太陽を食べる」って状況を「手に入れた」って考えて行きましょう。

つまり「おれ、あいつに太陽食べさせたぜ」って意味になります。


ぼちぼち問題の答えがわかってきたんじゃないでしょうか。

答えは4の to pack ですね。

問題になってる文章を考えていくと
They got their mother to pack some sandwiches.
「母親がサンドイッチを包む」という状況を彼らが手に入れた
つまり「彼らは母親にサンドイッチをいくつか包んでもらった」という意味になっています。

I got            the book          on the desk.
I got                him            to eat the sun.
They got   their mother   to pack some sandwiches.
どの文も
主語+動詞+目的語+状況の説明
ってなってるのがわかりますかね。

ちょっと簡単なやつだと
I got him angry.「私、彼を怒らせちゃった」
ってのも同じ構造になってますね。

中学校なんかでは get=「手に入れる」って習いますが
「手に入れる」という意味をもっと広い視野でとらえることになります。





他に
I had my bike stolen.「チャリ盗まれた。」
ってのも
have+目的語+過去分詞(これも状況の説明になってる)
目的語が〜された状況を所有してる ってところから成り立ってます。

have=持つ って意味で考えるよりも
「所有する」を広い視野でとらえる。
物だけでなく、状況も所有する対象になるってことなんですよね。

get O to V「Oに〜させる」
have O 過去分詞「Oを〜される」
というようにただ暗記するよりも、こうやって感覚的にとらえていった方が間違いも減りますし、何より、楽しく勉強できるんじゃないでしょうか。

長々と説明したので覚える量が増えたような感じがするかもしれませんが、頭を使って勉強しておくとバリバリ応用していけますからね。

がんばりましょう。

2011年4月26日火曜日

PHOTOGLISH VOL.2



福岡、大名AIP CAFEからお届けしました。

PHOTOGLISH VOL.2

映画のワンシーンや写真を使いながら言葉だけでは伝わらないイメージを伝えるというUST番組です。

今回は現在形と未来時制についてお話ししました。

使用映画は
バック・トゥー・ザ・フューチャー
リトル・ミス・サンシャイン
スターウォーズ:エピソード1

過去に放送したものも残してますので、ぜひぜひよろしくお願いします。

では、そんな感じで。

2011年4月25日月曜日

ダンサー・イン・ザ・ダーク

暗い映画は苦手なんですが、

気になる台詞があったのでとりあげます。

主人公、セルマの台詞。

"I'm going blind."

go blindで「失明する」

進行形を使うことで、徐々に目が見えなくなっていくことが表現されています。

また、go blindという熟語。


ブラインドは光を遮るものですね。

形容詞として使われ、「目の見えない」という意味になっています。

それはいいとして、

注目したいのは"go"。

goから作られる熟語は悪いイメージのものが多い。

go bad「腐る」
go wrong「うまくいかない、故障する」
go mad「発狂する」
go wild「荒っぽくなる、興奮する」
go flat「パンクする、空気が抜ける」

などなど。

go flatはパンクしたタイヤを考えてみると、

地面に接してるところがflat「たいらに」なってますよね。



逆に、goの反対、comeを考えてみると、

comeは良いイメージの熟語を作ります。

Dreams come true.の
come true「叶う」をはじめ、
come of age「成人する、成熟する」
come to「意識を取り戻す」

などなど。

なぜこういった違いが出てくるかというと、

goは「行く」で「理想から遠のくイメージ」を持ち、

comeは「来る」で「理想へ近づくイメージ」を持っているためです。

イメージを利用して考えると一個一個覚えなければならない熟語も、

感覚がグッとクリアになってきますよね。

関連づけることで知識の定着度合いも増してきます。




ここからは告知ですが、本日4月25日 20:00~21:00で、福岡大名AIP CAFEより、

USTREAMで僕の番組PHOTOGLISHを配信します。

ゲストにみかっち(@Me_colorful)を迎え、バック・トゥー・ザ・フューチャーなどのワンシーンを用いて、

時制の話をします。

緊張でドギマギしながら話しますが、

英語学習者が勘違いしやすい現在形について解説しようと思うので、

ぜひご覧ください。

また、PHOTOGLISH配信後、21:30~は立ち飲みTV(@tachinomiyasan)の配信もおなじくAIP CAFEより行われます。

AIP CAFEに来ていただければ安くお酒とおつまみが食べられるそうなので、

時間がある方はぜひお越し下さい。

PHOTOGLISHも立ち飲みTVもこちらで紹介されています。


ではでは、そんな感じでよろしくお願いします。




Live Broadcasting by Ustream

2011年4月20日水曜日

英語講師発掘オーディション

4月17日、銀座で開催された英語講師発掘オーディションに参加しました。
結果は惨敗、といった感じですがとてもいい経験ができたと思います。

オーディションの様子がネクストウェイブリサーチ社のブログにて公開されています。
http://www.nw-r.com/BLOG.html

今回のオーディションは1次試験が面接および課題授業、
そこで1次の合格者の発表があり、
続いて自由授業の審査が行われました。

1次の合格者は13名中7名で、
残念ながら僕は1次で落ちてしまったのですが、
とても良い刺激をうけることができたので、
今後に活かしていきたいと思います。

今回オーディションを受けて感じたのは、
とりあえずやるべきことをできていなかったということ。
具体的にはというといろいろある訳ですが、
今後どんどん形にしていきたいと思います。

まずはUSTREAM番組PHOTOGLISH
10代を応援するイベントBLUE SPRINGでは、
カメラマンとしての顔も持つ僕が、
映画のワンシーンや写真を使って英語のイメージを伝えていくという番組です。

まだ1回しか放送しておらず、
緊張しまくってドギマギしていますが、
今後番組内容も充実させていくつもりですのでどうぞよろしくお願い致します。

このブログもほったらかしにしてたので、
更新頻度も高めたいと思います。



最後になりましたが、

今回中心となってオーディションを開催してくださった、
関正生先生および株式会社ネクストウェイブリサーチの方々、
貴重な機会を設けていただいて本当に感謝しております。

また、応援してくださった方々にも感謝の意を表したいと思います。
今後も精進していきますのでどうぞよろしくお願いします。

ありがとうございました。


岡崎修平